2016年03月26日

その日、彼は東京にいて、2週間後に卒業式を控えた大学4年生だった。 小学校時代を過ごした石巻が大きな被害をうけたときき、故郷にもどって避難所の支援にあたるうちに、震災前から家庭の問題を抱え苦しんでいた子ども達に出会う。 子ども達の声が頭から離れず、大学院に通いながら、学習支援の活動をはじめて間もなく5年。 貧困、売春、不登校。子どもを取り巻く課題は根深い。こうした課題に対して、学習支援にとどまらず子ども食堂やアウトリーチ等、彼の活動は5つもの事業に広がったが、課題を抱えた子どもたちが「ひとりぼっち」にならないように居場所を提供し続けるという一貫したビジョンに向かう手段である。 「うんうん」とうなずきながら子ども達の小さな声にも耳を傾ける、若干27歳のまなざしは優しい。

2016年03月26日

2011年まだ先の見えないこの街に、彼はボランティアとして訪れた。 泥かきや瓦礫の撤去に取り組むうちに、「再び店を開けたい」という商店主に出会い、はじめは支援として店舗の再生に関わっていた。 こうした活動をとおして飲食店の店主や地元漁師たちと知り合い、料理人としてここに店をあけることを決めた。 仲間達と4ヶ月かけて地元の資材をつかった店舗はすべて手づくり。地域の旬の食材を最も美味しい形で味わってもらいたい。まだまだ人通りの少ない川沿いの通りで、彼の店は彩り豊かな四季折々の料理に満たされた人々の笑顔であふれかえっている。

2016年03月26日

震災発生直後から瓦礫の撤去等の支援に取り組みながら、彼はいつでもこの街の未来を見ていた。
長期的な視野で街を再生させるためには経済を再生が必要である。
京都でアパレルのデザインを営んでいた彼は、地域の資源を生かした新しい生業をつくれないかと考えていた。
そんな時に、ボランティア活動の最中に津波で崩壊した建物の中から救い出したのが、泥まみれになった「大漁旗」だった。
船主の方に「ものづくりで地元の人達の為の仕事を生み出したい」とたのみ譲ってもらう。
この大漁旗を仮設暮らしのお母さん達の手を借りてカラフルな帽子や鞄、ワンピース等としてよみがえらせた。
漁師達が大事に受け継いできた一点ものの大漁旗を裁断しようと素材に向き合う視線は、このプロダクトを売り出す先の世界を見ている。

2016年03月24日

笑顔の女性が、つぶらな瞳のジャックラッセルテリアに引っ張られるように、店店に挨拶をしながら商店街を歩いてくる。
彼女、天野美紀さんは石巻に移住した建築家だ。
東京で建築家として仕事をしながら震災直後から隔週で夜行バスに乗って石巻とを行き来するうちに、「誰かバスのお客さんを駅前で迎えてくれるカフェを営業してくれないかしら?」とふと思った。
石巻でふれたのは、日常の家庭で振る舞われる魚や野菜等をふんだんにつかったお母さんの料理と、牡鹿半島で駆除された鹿肉のジビエ料理。。
そこで彼女は築100年のカフェを自ら経営することにした。たちまちこの通りにはお店をはじめる若者が集まり新しい文化が生まれている。

2016年03月18日

ISHINOMAKO2.0は、東日本大震災を経験した石巻を、震災前の状況に戻すのではなく、新しいまちへとバージョンアップさせるために2011年5月に設立されました。(2012年2月に法人格取得)。石巻に元からあるリソースを丁寧に拾い上げ、石巻市外のありとあらゆる才能と結びつけ、今までになかった新しいコミュニケーションを生み出してきました。今までにない新しいまちづくりを通し、まちと人が相互に成長していく場をつくることを目的としています。既成概念にとらわれることのない空き地・空き部屋の利活用や、しがらみを越えた地域内の連携、地域外との協働によりまちを面白く「ひらく」ことを目指して下記の事業に取り組んでいます。

2016年03月18日

震災後、全国から寄付いただいた約85台の車を活用して、車を被災された方々へカーシェアリングを通したサポートを宮城県石巻市で行っています。私たちのカーシェアリングは、従来都市部で展開されているものとは異なり、そこに住む人たち自らが管理し、ルールを決めて、活用していただきます。節約のためのシェアリングだけでなく、旅行や防災訓練や高齢者の外出支援までその活用を発展させていき、そのコミュニティをそこに住む人たちと共により魅力あるものに変えていくことを目指すその取り組みを『コミュニティ・カーシェアリング』と私たちは名付け、取り組みを進めています。詳しくはこちらの漫画を参照してください。
http://japan-csa.up.seesaa.net/image/Yoshi-Yattemiyou.pdf

2016年03月17日

震災直後の2011年6月、街と川辺を結ぶ松川横丁沿道の住人たちは、まだ瓦礫の残る街の中で、未来について考えていました。震災から4年3ヶ月の月日を経て、若手商店主が腕をふるうレストランの2階にこの街でチャレンジする若者にむけたシェアハウスがオープンしました。

2016年03月17日

フィッシャーマン・ジャパンは、[新3K=カッコいい、稼げる、革新的」な漁師を増やすべく、集まった若手の水産事業者のチームです。2024年までに水産業のイノベーションに関わる人材”フィッシャーマン”を1000人増やすことを目標に掲げています。
TRTITON SCHOOLはフィッシャーマンを目指す若者たちにむけて、漁業の”リアル”を体験してもらえるように、実習や漁師とのコミュニケーションの機会を提供します。

 

2016年03月17日

7日間からの漁村留学「イマ、ココ プロジェクト。」は、漁師さんのお宅にホームステイしながら浜の仕事の手伝いをするプログラムです。受け入れ先と仕事だけでなく、生活全般を共にすることは、テレビなどのメディアからは知りえない漁村での暮らしの魅力や厳しさに直接触れ、学び、感じる貴重な経験になります。仕事も暮らしも自然と密接に繋がっている漁村での生活。文字通り自然とともに生きる人々の生活の本質に触れることで、「地域に暮らす」ことをより身近なこととしてとらえるきっかけとなる7日間。移住について考える前に、まずは試しに一週間、浜の生活にどっぷり浸かってみませんか?

 

2016年03月17日

牡鹿半島が牡鹿半島らしくずっと続くように、人と地域をつくり、つたえ、つなげるネットワーク組織、「おしかリンク」。
これまで、半島に点在する浜と浜をつなげ地域の方々とヨソ者をつなげながら様々な体験・観光プログラムを企画してきました。
鮎川浜南地区にある空き家を地域のコミュニティスペース兼シェアハウスにリノベーションし、コミュニティスペースを移住者が運営するシステムを構築する「鮎川の家プロジェクト」。
裏山に放置された杉林から自伐で材料調達をおこなったり、周辺の空きスペースを活用した野菜づくりをあわせて行うことで、自然循環型の生活を提案する「森さん家プロジェクト」。
石巻に移住し、荻浜に関わるメンバーが集結し、店番を交代しながら浜の商店を運営する「湾ショップ」等、牡鹿半島の空き家を利活用した新しい体験交流の形を提案します。