2019年11月28日

今回はとりあえずやってみよう大学2019、第三回の様子をお届けします!

まずは、今年度のとりあえずやってみよう大学にようやく顔を出すことができた、松村校長から石巻のお話とフィルドワークも楽しみに待っています!とお話を頂きました。

 

 

今回は「様々な肩書から世界をつくる学」として、二人のゲスト講師をお迎えしております。前半は世界ゆるスポーツ協会の澤田智洋先生からスタート。

澤田さんは広告クリエイターで、コピーライターとして映画や自治体の移住促進などのコピーを制作してきました。 ですが、仕事を続けるうちにアイディアが経済成長のためにファストフードのように消費されて行くことに違和感を感じるようになりました。広告の仕事はプロジェクトとして数ヶ月から数年かかるものもあり、予算的にも多いときでは数百億もかかる場合があります。それだけ期間と予算をかけても広告を世に出した後はアイディアがほぼ一瞬で消えてしまいます。そして広告を見たという相手の顔が数値からでしかわからないことにも疲れを感じていました。仕事をやめようかと色々と悩んでいた時、澤田さんの人生におけるターニングポイントが訪れます。

 

 

澤田さんのもとに生まれた子供が、生まれつき障がいを持っており目が見えない状態だったことが発覚します。子育てを初めて数カ月は気づかず過ごしてきましたが、ある日目が充血して大きな病院に見てもらい判明したそうです。澤田さんが当時感じたのは”前触れが無いな”という事。ここで、もともと疑問を抱えていた当時のキャリアに「ここまではこれをしてきました。」という句読点をつけます。そして次に何をしようとかと立ち止まってはいられないと考え、まずは障がい者に会いに行くことから始めました。2ヶ月をかけて人づてに約200名の障がい者、そのご家族、障がい者を雇用している経営者に会いに行きました。

 

ライターとストロー

この2つには共通点があります。それは、障がいがある人のために開発されたと言われていることです。ライターは片腕を失った兵士がタバコを吸うのに当時はマッチしか無く、火をつけられなかったのをきっかけに開発されました。ストローも全身麻痺の方が水を飲むために編み出されました。その他にもタイプライターやカーディガンも障がいがある人達のために作られました。こういう話を会いに行った人達からよく聞いたそうです。様々な体験があった二ヶ月でしたが、そこから自分の人生における譲れないものを決めます。

①ファストアイディアではなく、持続可能なアイディアへ。

②マスではなく、1人のために。

③マイノリティ起点ではじめる。

 

超和

日本的な混ざり合う社会を作ることは出来ないかと考え始めました。澤田さん自身日本の宗教観が好きで研究して来ました。古来より、日本はユーラシア大陸の一番東に位置しているので、情報がどんどん東に流れる時代、農業や宗教もどんどん流れてきました。しかし、日本より東は無いので、日本はすべてを受け入れます。そうすると日本にもともとあった宗教や神との対立が起きるはずですが、うまく共存して今日まで来ています。そのやり方が日本らしくてうまいと感じた澤田さんは自分のために”超和”というコピーを考えました。これは一般的に耳にする”調和”からインスパイアされています。一般的な”調和”は乱雑な物や異質な、多様なものを美しく整えたり、秩序のある状態にしたり、安心感の在る状態にすることを言います。対して澤田さんの考える超和は多様なものをAとBという近い存在が共存するのではなく、AとZという一番遠い存在をそれぞれの色を損なわずに共存する事を掲げています。

 

 

 

今、澤田さんはこの”超和”を掲げて現在約10個の領域で活躍されています。その中でも3つに絞ってご紹介します。1つめはNIN-NINという肩乗りの補助ロボット。視覚障がい者が信号を渡る際、信号の色を感覚で判断していることをご存知でしょうか。この話を聞いた澤田さんはNIN-NINという視覚をサポートする肩乗りのロボットを開発しました。NIN-NINは視覚障がい者が信号を渡るのをサポートしたり、様々な視覚情報のサポートを行います。この視覚サポートを行っているのは、機械ではなく実は人間です。しかも、重度障がい者の方がサポートを行っています。自力で歩くことが出来ない代わりに目を貸してサポートを行い、視覚障がい者側は実際に歩いている映像を届けることで足を貸してサポートを行っています。このプロジェクトにおける超和は、障がい者がしっかりとロボット開発に携わっていることや、このプロジェクトを通じて障がいを持った人が社会に飛び込むことができるという点です。また、これを応用して時間に余裕のある高齢者に中に入ってもらい、旅行者向けの外語翻訳なども行っているそうです。このプロジェクトはもちろん息子さんのためでもありますが、視覚障がいがある友人と食事をしている時に、信号を感で渡っているという話を聞いてこれは簡単なテクノロジーで解決できるのではと取り組んだそうです。まさに1人のためのプロジェクトです。

2つ目は義足のファッションショーです。義足をつけて生活している女性たちと話をしている時に”義足を本当は隠したくない”という話を聞き、取り組み初めた活動です。彼女たちにとって、義足は人体の一部であり人生、それを隠すのは違和感を感じるという言葉を受け取り、澤田さんは一番見られるシチュエーションを用意しようと考えました。このファッションショーの趣旨は義足を福祉器具として扱うのではなく、今までになかったファッションアイテムとして転換しようという考えです。人生の中で足を切断してしまうという経験から、義足をつけ初め、義足を見せたいという思いにまで達した彼女たちの美しさを表現したいという思いもありました。おそらく、この企画を聞いた多くの人達はバッシングされるのでは無いかと感じたと思います。澤田さん達も批判が在るのではと恐る恐る開催しましたが実際の評価はかなり好評となり、いまでは世界に向けて発信しています。

 

 

3つ目は世界ゆるスポーツ協会です。様々なことを一人のため起点でやってきた澤田さんですが、スポーツだけはアプローチが違いました。澤田さん自身が実はスポーツが大変苦手で、所謂運動音痴として幼少期を過ごしてきました。自分に何か障がいがあるんじゃないか、どこか悪いのではないかと考えることもありましたが、既存の障がいの枠には当てはまりませんでした。色々と調べているうちに日本人の45%は運動をしていない人たちで在ることが文科省のデータからわかりました。そこには運動音痴もたくさんいると感じ、その人達と結託して何かできなかと考え始めます。そこでまず澤田さんは自分たちに”スポーツマイノリティ”という名前をつけました。運動音痴と聞くと門前払いされそうなイメージですがスポートマイノリティ、スポーツ弱者と聞くと耳を傾けたくなります。澤田さんは自分たちを社会で解決すべき課題の一部にすることにしました。その課題を解決するため、新しいスポーツ”ゆるスポーツ”を開発しました。ゆるスポーツを始めてから4年で80競技ほど作成し、その間に出たアイディアは10万アイディアほど出し合い、その中からブラッシュアップして行きました。 現在も約1ヶ月に1競技のペースで競技が生まれています。

 

スポーツの本質

この活動を初めてから澤田さんはこれまで避けていたスポーツの本質を探ろうと、文献を約100冊読み漁りました。もともとスポーツは日常から離れるという意味合いの言葉でした。生きていくことが今よりも何百倍も辛い時代、日常から一瞬でも解き放たれるために始まったのがスポーツでした。今のスポーツをテレビで見てみると、競うためのものという印象が強く、笑ったら怒られたりと、本質を見失っていると感じています。スポーツは、笑い。それを本質と捉えて第一にゆるスポーツは考えられています。

ゆるスポーツには面白いルールがたくさん有ります。例えばバスケットボールのような競技、ベビーバスケではボールが赤ちゃんに見立てられ、優しくあつことが第一になります。赤ちゃんを授乳ゾーンに入れることで得点を得られる仕組みです。もちろん赤ちゃんを扱っているのでドリブルは出来ません。これはただ面白そうだから赤ちゃんを模しているわけではなく、競技スピードをできるだけ遅くすることで運動アレルギーをなくそうということが考えられています。ペナルティも、過保護や子煩悩といった名前で、とてもユーモアが効いています。笑いがあふれるスポーツですが、競技性も非常に高く仕上っています。また、高齢者の身体機能を鍛えるための競技としてこたつホッケーやトントンボイス相撲も紹介されました。

他にもたくさんのゆるスポーツが紹介されましたので、澤田さんたちのWEBページからご覧いただければと思います。

https://yurusports.com/#sportsListBox

これまでたくさんの競技を作ってきた澤田さん達ですが、これまで掛け合わせられて来なかったテクノロジーやスポーツに関心がなかった人たちをスポーツにつなげる、まさに超和を成しています。

 


 

後半は石巻市牡鹿半島の蛤浜で活動しているはまのねの亀山さん。

現代版百姓としてのお話をできればと講義をスタートしました。亀山さんの活動拠点であり、自宅でもある蛤浜は震災から集落全体の人口が減少し、現在人口7名の浜です。亀山さんが行っている活動は”豊かな浜の暮らしを次世代へ繋ぐための場作り、ことづくり、人づくり”です。

 

 

活動のきっかけ

活動は震災をきっかけに始まります。震災前の蛤浜は9世帯、皆が家族のような環境で亀山さんは育って来ました。子供の頃からこの場所でずっと漁師をして生きていきたいと思っていましたが、両親や祖父からいい大学に入り大手企業に入りなさいと説得を受けます。10人ほどいた同世代の方々も仙台や東京に出て仕事をしていました。引かれたレールの上を走るような、この浜でずっと暮らして行きたいだけなのにそれが出来ないことに疑問を感じていました。その後母から公務員になりなさいと育てられた亀山さんは大学を卒業後、地元の水産高校の教師となりました。幸い浜からすぐ近くの高校で、念願の浜に残る夢が叶います。それからは生徒を浜につれて来てバーベキューをしたり、結婚して浜で楽しく生活し、高校の教師として安定かつ働きがいがある仕事ができるという、理想的な暮らしを続けて来ました。

しかし、もうすぐ子供が生まれるというタイミングで震災が訪れます。震災で奥様を失い、浜も壊滅状態、高校も8割被災という絶望的な状況になり、もうここには二度とここには戻らない決めて街に移り住みました。1年ほどで自分の生活を立て直し、高校の復興も進んできたこともあり、浜のことが気になって蛤浜に様子を見に行っていることにしました。当時の蛤浜は世帯数は2世帯5人まで人口は減り、そのうち4名が60歳以上という超限界集落で、まだ震災の瓦礫も片付いていないような状況でした。自分の愛したふるさとが無くなってしまうと危機感を感じた亀山さんは、なんとか力になりたいと思い”暮らし・産業・学び”の面から蛤浜プロジェクトを立ち上げました。

浜をこんな風にしたい!という絵を掲げて、色々なところに話を持って行くも、初めはなかなか受け入れてはもらえず門前払いのような状況でした。しかしそんな中でも浜の復興を手伝ってくれる同世代のボランティアの方々がいました。絵を見てくれて、お金は無いけれど体はあるからやっていこう!と浜の復興を手伝ってくれるようになり、蛤浜プロジェクトは動き始めます。

初めに行ったのは築百年の実家をカフェに改装。プロジェクトを進めて行く中、貯金を切り崩して一緒にやってくれたり、身を削って献身してくれる仲間を見て、自分が中途半端な気持ちでは行けないと高校を退職し、このプロジェクト一本で生きていくことを決意。カフェを始めるにあたって、カフェ経営の本なども参考にしたそうですが、そこに出てくるのはターゲットをどの年齢層にするか、街のどういう場所で開業するかという話ばかり。人口は5名で、80%は60代なので、自分のやりたい形を実現するために経営については無視して初めました。幸いなことに、このカフェはまぐり堂は大人気となり、アクセスが非常に悪いにも関わらず全国各地からたくさんの人が訪れるようになりました。

様々なつながりから自然学校や結婚式なども行われ、にぎやかになり、メディアにも数々取り上げられることで年間約15,000人もの方々が訪れるようになりました。活動を6年続け、なんと約80,000ほどの方に浜に訪れます。交流人口を増やすという目標を達成したかと思いきや、今度は浜や近隣の集落から怒られたり、迷惑がられたりするようになります。交流人口=浜の幸せではなかったのです。最近ではオーバーツーリズムと呼ばれ、もともと住んでいた人たちの生活を害してしまうことになってしまいます。

 

 

ここで亀山さんは自分たちも貯金を切り崩し、人生をかけてやっていたのに迷惑になってしまい”なんのためにやっているんだっけ?”ともう一度考える事にしました。人を呼ぼうと思えば人を呼べる環境は整っていますが、多く呼ことは幸せに繋がりません。大事にしたいことは何かをしっかりと整理しました。

いろいろやめる・断る

丁寧にじっくりやる

自分・チームの思いを大事にする

この3つを軸に蛤浜プロジェクトは第二ステージに入りいます。

今年の1月からカフェの営業体制も変え、ランチを予約制にした上で土・日・月の3日感の営業にしました。火・水は休みをとり、木・金で自毛制カステラや鹿革アクセサリーを作りながらオンラインショップを営んでいます。そうして今は”人→自然環境→経済→人→自然・・・”という循環を作るために奮闘しています。

亀山さんは事業を持続するための6つの資本が大切だといいます。6つの資本とは財務・製造・人的・自然・社会関係・知的観点から見た資本のことを言います。ですが、日本ではなかなか財務資本の事しか考え無い企業が多く、その考え方が一般的になってしまって来ています。これは社会においても、地域のおじいさんおばあさんから受け継ぐべきものがあったり、地域でお金を回したり、うまくやれることがもっとあると言えます。蛤浜でも人から始まり、全体を見たわたすと条件が満たされていることがわかって来ました。

そして今、亀山さんが目指すスタイルは”はまのね船団”方式です。それぞれが自由に柔軟に船長のように独立していき、得意技を伸ばしていく方針で、最終的に法人には自分ひとりになってもいいと話します。それぞれが目指す方向を蛤浜から新しい地方の働き方や暮らし方を見つけ、次世代の百姓を生んでいきたいとまとめました。

 

 

最後は、ゲスト講師と巻組の渡邉さんを交えての対談セッション。興味深いお話が色々と聞くことが出来ました。気になる方はぜひ次回のとりあえずやってみよう大学にいらしてください。

次回は12月7日。詳しくは下記WEBを御覧ください!

https://nazoventour.wixsite.com/makigumi-1/udtf

 

2019年11月14日

 

10月23日に開催されたイシノマキオモシロ不動産大作戦のレポートをお届けします!

ゲストは那須にて活動されているChus(チャウス)の宮本吾一さんです、

石巻にはよくいらっしゃるようで、なんと今年は4回目!

 

 

東京生まれの宮本さんは通学に使う満員電車にとても苦手で、高校に通えなくなったというところから話は始まります。満員電車とは用意されている座席と吊り革がすべて埋まっている状態を100%として、約230%以上の乗車率であることを言います。東京に住んでいるとこの感覚に慣れてしまいがちですが、もしもこの状況がが車やバスだったとするととても窮屈で危険だと思います。このことを学校の先生に打ち明けると先生も同意してくれ、様々な工面していただくことでなんとか卒業することができたそうです。

 

●那須へ移住

その後どこか田舎に移住したいと強く思い、20歳の時に那須に移住を決めました。当時は誰も身寄りも繋がりも有りませんでしたが、自分の感性に従って那須を選んだそうです。那須には大手チェーンだけでなくローカルならではの個性溢れた小さなお店がたくさんあり、そこが気に入った一因でもあります。自分もやってみたいと思い、まずはリヤカーでコーヒー屋台をやってみることに。カウンターがあればコミュニティができていくことを面白く感じたそうです。しかしどうしても収支が合わず、これだけでは食べて行けないと感じ今度はハンバーガーを出すことにしました。実は那須にはブランド牛もあり、生産者さんたちが美味しいものを作っているので挟むだけで美味しいというレベルでした。そこから友人の料理人にレシピを見てもらい、色々と指摘を受けているうちに良いレシピが仕上ったそうです。宮本さんは経験や知識がなかったとしてもコミュニティさえあれば形になっていくということをここで確信します。

 

●調達のために朝市を

ハンバーガーはもともと生産性を上げるために発案された料理です。そのハンバーガーを地産地消の小さな規模でできるスローフードにしてみようと宮本さんは考え始めました。ここで、自分が生産者のことは実際に知らないということに気が付きます。友人の料理人に聞いても「知り合えたら最高だけど、なかなか難しいよね」という言葉が帰って来ました。それならマルシェを開いて皆で生産者さんから直接買える場所を作ろうと動き始めます。ただし農家さんの知り合いも一人もいなかったのでインターネットを使って「那須 農家」と検索して出てきた連絡先に一軒ずつ連絡をするところから始めました。15件ほど連絡を続けると、とりあえず合っていただけることになり企画を説明。その農家さんを起点にどんどん農家ネットワークにつながって行きました。

 

 

●那・須・朝・市

なんとか10人の農家さんが集まり、朝市マルシェを開催できました。朝日を浴びながら集まった農家さんたちが野菜を売りながら楽しくコミュニティを作るという理想的な形で開催されます。しかしマルシェを続けて行く中で、ボランティアでやらなければならない状態に疲弊を感じていました。ある時買い物に来てくれた人から「あんた、これは良いものだから毎日やりなさい」と声をかけられました。言われた直後は疲弊しきっているころで、そんなことはできないと思っていましたが、あとから冷静になって考えてみると、そのスタイルのほうが良いかもしれないということに気づきます。考えをまとめお店にすることを決め、現在の「Chus」を立ち上げました。

●Chus(チャウス)

たまたま大きな建物を譲ってくださり、Chusは販売を行うMARCHE、飲食の提供を行うTABLE、ゲストハウスのYADOの3つの機能を合わせた施設になりました。一見産地直送の市場のように見えますが、普通のお店と違うところはしっかりと納品してくれる農家さんと対話をして、どんな野菜なのかをヒアリングすること。コミュニケーションの畑で育ってきた宮本さんならではのこだわりです。TABLEのこだわりは大きな食卓です。大きなテーブルにみんなが座るということでその人と繋がることを大切にしています。全員が隣に座るのではなく、長いテーブルにそれぞれが座り、それだけで繋がりを感じることができるそうです。

 

●バターのいとこ

バターは無調整牛乳をシェイクすると出来上がります。シェイクをするとバターとスキムミルクに分かれるのですが、牛乳からバターは4%しか取ることは出来ません。そして96%の水分(スキムミルク)は価値にならないそうです。この課題を見つけた宮本さんはその96%のスキムミルクを買い取り、バターのいとこを開発しました。スキムミルクに価値が生まれることで、農家さんはバターを作りやすくなり、とてもいい循環になりました。バターのいとこはいまや毎日売切れてしまうほどの人気商品。素晴らしい循環になっています。

 

 

●自分自身が幸せになるために

宮本さんは何をするときもはじめに「僕は幸せになりたいんです」と言うそうです。宮本さんの活動はすべて自分が幸せになることへ繋がっています。そして自分だけで無く周りも全体がハッピーになるにはどうしたら良いかと宮本さんは考えます。特に大切にしている言葉は「ハッピーはラッキーじゃない。ハッピーは作れるからね。」です。バターのいとこを例に取れば、透明性があり、生産者と事業者とお客さんがハッピーになるというとてもハッピーな仕組みづくりでした。自分を含めた周りをハッピーにして行く方法を模索しながら宮本さんは今日もハッピーを作っています。

 

 

●空き家紹介

ここで宮本さんのお話は終了です。ここからは懇親会のような形で集まった大家さんが空き家を紹介し、活用方法を模索して行きます。今回もたくさんのオモシロイ空き家情報を提供してくださり、参加者も大盛りあがりでした。

 

 

 

次回のイシノマキオモシロ不動産大作戦は11月19日 IRORIにて開催です!

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