「人」に向き合う難しさと喜び

 2011年8月、高校2年生、右も左も分からなかった自分は、好奇心と貢献欲を持って、石巻と東松島に東日本大震災のボランティアに行きました。その時の衝撃は今でも覚えています。家族が津波の犠牲になったにも関わらず笑顔で話してくれるおじいちゃん、友達を震災で亡くした同世代の高校生、この教訓を未来に繋げてほしいと真剣に語るバスでの語り部、そんな懸命に生きている人を見て私は、自分の生き方をひどく否定しました。「なぜ、自分は一生懸命に生きてないのか」「自分はなんてちっぽけな存在なんだ」「部活も、勉強も全部中途半端だ」と。

若手研修の様子

 あれから14年、私は宮城県石巻市に地域おこし協力隊として移住し、卒業後も、ここ石巻で水産業に関わる「人」に焦点を当てた活動を続けています。大学生でのボランティア活動、被災地支援を通じて出会った人、その過程で一度は東京に就職をしましたが、ご縁があって石巻市にいます。

若者との会議の様子

 移住して今年で、5年目になります。地域おこし協力隊の3年間と卒業後の2年間、この5年間で取り組んできたことは、「石巻の水産業の経営者と若者を繋げる場を作ること」です。石巻の美味しい海鮮、広大な自然は素晴らしいですが、私がここに住み続ける理由は、石巻の重要な産業であり、課題だらけの水産業で挑戦する経営者や若者を支えたいからです。採用支援した若者が退職したと聞くと落ち込みます。一方で、入社した若者の変化や経営者の前向きな発言や評価を聞くとやってて良かったと思います。

一緒に働くFJの写真

 そんな中、パートナーも見つかりしばらくは石巻に腰を据えて、生活と仕事をする予定です。もっと、この地域を楽しむことと水産業だけでなく、子育て支援など幅広く活動の範囲を広げていきたいと思います。その軸はやっぱり「人」だと信じています。私に頑張るきっかけをくれたのは間違いなく、東北の「人」です。そして、石巻に来てからここに残り続ける理由をくれたのも「人」です。人を中心に、人を大切にする仕事やまちづくりにこれからも貢献したいと思っています。

経営者向け勉強会の実施風景

 高校生の時に石巻、東北の人に教えてもらった、どんな状況であっても懸命に生きること、そして、どうしようもない自分を否定してしまっても、地域や人のために行動し続けること。できることは小さいですが、私なりの生き方で石巻、東北、地域に還元していきたいと思います。

弘田 光聖
石巻市地域おこし協力隊 卒隊

1994年高知市生まれ。関西大学卒業後、都内のベンチャー企業で働く。学生時代から関わる「きっかけ食堂」をNPO法人化し事務局長に就任、東北の食を通じた交流を全国で展開。2021年より宮城県石巻市に移住し、地域おこし協力隊(卒業後も含む)として水産業の人材支援、組織支援を推進。

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