父の思いを未来へ

初めまして、地域おこし協力隊員として活動することになりました、宮野弥生です。私は仙台市からの移住ですが、元々は女川生まれです。父と母が女川で出会っていたので、幼少期の頃までは女川で過ごしていました。

実はこうして協力隊にたどり着くまでに、看護師として8年、治験コーディネーターとして1年、養護教諭として7年間、勤めておりました。どの仕事もすごく魅力的で、私の周りにはいつも素敵な方達ばかりです。関わらせていただく患者さんやご家族、子どもたちにもすごく恵まれ、ありがたい環境の中で過ごさせていただきました。

どうしてそんな私がこの石巻の地に戻ってきたのか?そこには、他界した父の思いを引き継いでいきたいという思いがあったからです。

父は、難病の全身性アミロイドーシスという病気で3年前に亡くなりました。父が発症したのは60代前半で、それまでは全く病気のない、健康な成人そのものでした。どうしてもっとごく普通の生活習慣病とかにはならないの?とどうにもならない怒りの感情を感じたこともありました。その闘病生活の中で、私は付き添いで病院に泊まり込みをしたり、病院から職場へ出勤したり、改めて父と他愛のない話をしたりと、家族の命ほどかけがえのないものはないことを、専門職の私でさえも、こうして改めて実感することができました。
 
そのような中で人の命に向き合うことや、本当に困っている子どもたちのことを想うと、今の自分には何をすることがベストなのか?

その結果、たどり着いたのが、この地域おこし協力隊です。

私がお世話になっている、特定非営利活動法人まなびのたねネットワークでオープンしている「しゅろハウス」には、様々な事情を抱えた若者たちが集まってきます。
私の父も養子として、育ててもらった経緯があったので、この世の中で生きていくために、人に対する感謝の思いと自分自身をしっかりと持つこと、父はそんな思いをいつも胸に秘めていました。
家族がどういった状況であれ、自分がどう在りたいかを強くしっかりと持つ。そんな精神のある、たくましい父でした。

父と私 in 女川

そんな父のように私も、自分の人生をどう過ごしていくか、人生は一度きりであることを考えた結果、この「しゅろハウス」で働きたいなと自然に思うようになっていました。

「しゅろハウス」では、様々な事情や思いを抱える若者たちと食卓を囲みながら“一緒に過ごす”ということを大切にしています。誰もが安心して過ごせる実家のような場所で、みんなでご飯を作って食べながら、一人ひとりの声を大切にしています。

土鍋パエリア
みんなでお片付け

この「しゅろハウス」での経験をきっかけに、若者たちが自分の人生を自分で歩む、その一歩になることを願って。

今年度のしゅろサポートスタッフ
初めてのしゅろハウス訪問

宮野弥生(みやのやよい)
当時中学生だった妹の不登校をきっかけに、中学生の不登校支援やメンタルヘルスケアに関心を持つ。看護師、治験コーディネーター、養護教諭として16年間勤務しながら、難病だった父の他界を経て、自身の使命に辿り着く。現在は、心の変化に寄り添った子どもたちの居場所づくりを目指し、活動している。

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